少子化の時代ですが、わが家には子どもが6人います。
子どもと言っても、長女は30代半ばで、6女も今年大学生。
もう「子ども」とは言いがたいのですが、そんな年齢になっても親にとっては、
子どもは子ども。小さかったころとは違う心配や悩みは尽きません。
でも、よそのお母さんに比べると、私は、わりと子どもたちの言動に右往左往することなく、心配はするけれど、子どものチカラを信じていられるところがあります。・・・といっても、もちろん最初からではありません。
子どもが1人、また1人と増え、それぞれ成長していくにしたがって6人6様の、
また、さまざまな家庭に育ったさまざまな子どもたちとの日常の中から、
100人100様の個性があることを体験しながら、子どもたちの、私とは違う考え方や解決の方法を楽しむ心の余裕ができてきたと思います。
「自分のチカラを信じてくれるおとながいる」という気持ちは、子どもの心を支えます。
私自身も、中学生のころ、自分の気持ちに寄り添ってくれた先生のことばにずっと支えられてきました。
思春期真っ只中で、父の再婚相手に甘えることができず、家での寂しさを学校での反抗的な態度で解消していたような時期がありました。人を傷つけているかもしれないと思いながら素直になれない自分への自己嫌悪から、ますます素直になれない私の気持ちを受け止めてくれたのが体育の先生でした。
廊下で、私の悪口を言う同級生たちに「きっと、みんなにはわからないつらいことがあるんだよ。ホントは、素直になりたいと思っているんだ。ちょっとすねてるけど、先生は、いい子だと思ってるよ。」と言っているのが聞こえ、「わかってくれていたんだ」という思いで涙があふれました。「もっと素直になろう」・・・・と思ったのですが、次の日から変われたわけではありません。
人が変わるのには、時間がかかります。ただ、私の気持ちをわかってくれた先生のことばは忘れることなく、時々思い出しては、私の中の素直な気持ちを信じてくれたことばに応える自分になりたいと思っていました。
子どもに対して、「全然、わかってないんだから!」とか「この子には言ってもムリ」と怒ったり、諦めたりするおとなが多いように思いますが、その子にはその子なりの気持ちやその気持ちに至る背景があります。その子の「今見える姿」ではなく、気持ちに寄り添い、自分を認めてもらえたことがどこかで心の支えになったり、勇気につながったりするチカラになることを信じて、子どもたちを見守るおとなでありたいと思います。